近年、各メーカーからアポクロマート仕様のレンズがリリースされ続けているのはご存じだろうか。Leicaから2013年にリリースされたAPO-SUMMICRON、2019年にコシナからフォクトレンダーブランドとしてAPO-LANTHARが発売、そしてそれを追うようにTTArtisanからも2022年にAPO-M 35mm f/2 ASPHが商品化されることとなった。TTArtisanならではのコストパフォーマンスを有する本レンズがどの程度のものか、さっそく見ていこう。
これだけAPOと冠の付くレンズが増えると、APOとは何ぞやという疑問を持つユーザーも少なくないだろう。APO系レンズと聞いて漠然と思い浮かべるのは、「高解像」そして「高価」というイメージだ。この「APO」と言うのは、「Apochromat」の3文字を取ったもので、光の三原色である赤・青・緑の3波長の色収差を補正する。レンズを通る光は赤・青・緑それぞれ屈折率が異なることにより、焦点を結ぶ位置が変わってくる。強い光が降り注ぐ逆光などで葉や人物を撮った時の輪郭部分に現れる色のにじみが写真に現れたという経験をお持ちの方も多いだろう。それを非球面レンズや特殊低分散(ED)レンズで補正したものがアポクロマートと呼ばれる。APOレンズが高価な理由はまさにこれで、非球面レンズやEDレンズがふんだんに使われた結果と言えるだろう。これら高性能レンズにて色収差・色にじみが排除された像は、その境界面が明確に分離され描写されるというわけである。これが高解像となる理由である。
TTArtisanと言えばレンズ価格と描写性能を高パフォーマンスで実現するメーカーだというのは、ユーザーの共通認識だろう。このAPO-Mも例外ではなく、アポクロマートレンズ=高価と言うイメージを払拭するのに十分な価格に落ち着いている。レンズの光学系は9群12枚、3枚のEDレンズに加え非球面レンズが1枚からなり、他社のAPO系レンズに引けを取らない。レンズ全長はやや長く、重量も510gとややずっしりとした重さを感じる点は価格差が直に影響してくるポイント。しかし、実売7万円台前半と言う価格は他社の同アポクロマートレンズと比較し、約40%引き(L社のレンズ比ではなんと93%引き!)と言う価格差を考慮すれば、よくこの価格でリリースできたなと感心してしまう程だ。購入した方はメーカーに足を向けては寝られなくなるだろう。
TTArtisanレンズと言えばレンジファインダー向けのピント調整機構も内蔵しており、簡単に微調整が行える。あくまでも保険としての機能ではあるが、このAPO-Mも例外ではなく、簡単にピントの調整が可能となっている。筆者も他のTTArtisanレンズではこの機能を使い微調整を行った過去があるが、最近のTTArtisanレンズはあまりそういった調整は必要なく、今回のAPO-Mも無調整で済んでいる。この様な点からも品質の向上がうかがえ、パフォーマンスの良さに拍車をかけている。
ファーストショットは、空間をぶった切ったような非常に鋭い切れ味を見せた。抜けの良いというありがちな言葉では表現しきれない、解像度と立体感が高次元で同居している印象だ。コントラストがグッと引き立っており、等倍での緻密な描画は高画素機での利用も想定されていることが容易に想像できる。一方、絞り開放での周辺描写は中心から比較しやや遅れを取り、性能を全面で享受したいのであればF2.8以降を使うというのがMTFからも垣間見える。それ以降は周辺解像度もピークに達するため、絞りはボケ量をコントロールするのみの機能となる。ただし、四隅の性能だけは解像度の立ち上がりが遅く、F5.6~8程度まで絞ることでようやく最高性能に達する。風景では従来の撮影方法を踏襲し、絞り込むというのが回答となるだろう。四隅まで被写体を写し込むような建築物の撮影に使用する場合は、F8以降まで絞った方が無難であると言える。
ボケ量は35㎜F2、そして最短撮影距離が0.7mということもあり、取り立てて大きくはない。ボケに頼るというよりも、描写性能で見せていくレンズであるためそこを期待すると痛い目を見る。だが、Mマウント以外のカメラをお使いの方は、焦点工房からリリースされている各種ヘリコイド付きマウントアダプターを併用することで、利便性は向上するということは覚えておこう。0.7mを超えて0.4m付近まで近接が可能になるので、かなり使いやすくなる。レンジファインダー搭載のカメラでは開放値F2くらいのレンズであれば、ピント合わせも神経質にならずに使えるため、使い勝手は良いだろう。
大きな欠点を上げるとすれば逆光耐性ではないだろうか。逆光耐性はお世辞にも強いとは言えないので、撮影者のテクニックでカバーしていく必要がある。画面に光源を入れない、レンズに直接光を当てないと言った基本的な撮影手法でカバーできるので、念頭に置いておこう。特にレンジファインダー機使用時は、逆光のコントロールが難しいため確実な撮影を行う必要がある場合は、モニタで結果を確認する様心掛けたい。
レンズの長さ、重さ、レンジファインダー向け故の最短撮影距離の長さと言った明確な欠点は見受けられるものの、他社のAPOシリーズに引けを取らない描写性能を誇る印象を受けた。寧ろ、描写にパラメータを全振りしていると考えれば、その割切も納得がいく。最も健闘しているのは価格面であり、7万円台でアポクロマートレンズを入手できるのは正に破格。先述したように、逆光耐性の低さや、完全な描写を求める場合、四隅にまで気を配る場合は絞る必要はあるが、レンズを知ることで欠点をフォローできる。歪みの小ささから、人物(特にファッション)、風景、建築物、スナップ等、苦手なものがないというのが強みでもあるため、これらに該当するフィールドで撮影を行う方、アポクロマートに初めて触れてみたい方のファーストレンズとしては申し分ないだろう。数あるTTArtisanレンズの中でも、空間を丸ごと斬り抜いて写真に収めることができるのは、APO-M 35mm f/2 ASPHに他ならない、そう考えている。